2016年11月12日

群盲象をなでる


きょうは群盲象をなでる(群盲象を評す)ということわざを考えてみたいと思います。
 
仏教に出てくるよく知られたことわざで視野の狭い人をあらわすたとえ話です。
 

 鏡面王は言った、「すぐに、象の所へ連れて行ってやれ」、家臣が王の命を受け、この盲人達を象の元に連れて行き手を引いて、盲人に示した。中には、足を触る者、尾を持つ者、尾の根本を持つ者、腹を触る者、脇腹を触る者、背を触る者、耳を触る者、頭を触る者、牙を触る者、鼻を触る者がいた。盲人達は象について、各々の見解を争い、自分は正しく他の者は間違っていると収拾がつかなくなった。家臣は王のもとに連れて帰った。王は、「お前達は象を見たことがあるか」と聞いたが、見たことはないと答えた。王は「象とはどういうものだ」と聞いた。足を触った者は「大王様、象とは立派な柱のようなものです」と答えた、尾を持った者は箒のよう、尾の根本を持った者は杖のよう、腹を触った者は太鼓のよう、脇腹を触った者は壁のよう、背を触った者は背の高い机のよう、耳を触った者は団扇のよう、頭を触った者は何か大きなかたまり、牙を触った者は何か角のようなもの、鼻を触った者は「大王様、象とは太い綱のようなものです」と答えた。そして、王の前で「大王様、象とは私が言っているものです」と再び言い争いを始めた。鏡面王は大いにこれを笑って言った、「盲人達よ、お前達は、まだありがたい仏様の教えに接していない者のように、理解の幅が狭いのだね」。


 すべての者が言っていることは正しいがそれでわかった気になってはいけませんというお話ですが、わたくしは違ったたとえ話として日常こころのすみにおいています。


 ある人を評するに悪いところだけどんどんあげてゆけば極悪非道の人物像になり、いいところをあげてゆけば良いイメージができあがります。


 一年中完璧に良い人でいることは不可能であるし同じ人のなかに善良なひとと、すねたりふてくされるあるいは人をうらやましがる自分が同居しています。


 何々先生はこんなところがあるとか、こんなキャラだということを聞いたり、良い点や悪い点をきかされて、すべて事実であっても、それであなたはどうしますかと自身で判断して結論を出すだけです。


 大げさなことを言えば、歯科の主治医も夫婦も同じです、親子兄弟親戚はそう簡単に他人になれませんが、歯科や夫婦はいつでもバイバイできます。踏ん切りの問題だけで、けっこう緊張関係を有しており、あしたからは未知数です。


 かくしてわたくしも、日々あたらしい朝を迎えながら、今日もわたくしが夫でよろしいでしょうか?

 ハイハイごもっともです、はいすいませんね、反省します、よろしくね、とくらしております。

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